トップページ > 会長から > 会長から 第49回

会長から 第49回

 「しわわせだな~、ぼくは君といるときが一番幸せなんだ、死ぬまで君を離さないぞ、いいだろ、え○子!」かつて若大将と呼ばれた加山雄三の有名な「君といつまでも」という曲のセリフです。先日、文化祭でこの曲を音楽部が男声合唱で歌っていました、彼らにとってはこの曲がヒットした時代には当然いなかった訳なので、譜面づらを歌うことは出来ても感情が入ってないというか、若い歌でした。ところが、音楽部の合宿で同じ曲を指導に来ていたOBが歌いましたが、恋する気持ちが伝わってきて、人生経験を積んできた大人の歌を感じさせていました。一方、藤棚がある中庭ではスペシャルステージがあり、音楽部の3年生が、あの「CATS」をのびのびと楽しく演じていました。来年3月に定年退職される顧問の佐々田先生へのプレゼントだったそうです。そういえば清原先生もまもなく定年を迎えられますね、春日丘一筋で音楽部を今のように育て上げてくださった先生への感謝の気持ちを、私達で何か計画したいものですね。
 夏が去り、ここそこに秋を見つけることが出来ます。川の土手や田んぼのあぜ道に色鮮やかな「曼珠沙華」(ひがん花)が咲き誇り、ススキの穂が光にかがやき風になびいています。庭の柿の実もだんだんに色づき、もうすぐ食べられるようになります。季節の移り変わりや、新総理の誕生など時の移り変わり、古いものから新しいものへの変化をしみじみと感じるようになってきました。
 音楽部の合宿に顔を出した帰りに、今年でなくなる餘部鉄橋をどうしても見たくなり、立ち寄りました。40mあまりの高さの鉄橋は遠くからでもよく見え、下から仰ぎ見ると大きい鉄塔のようでした。餘部駅まで登りさらにそのうえの撮影ポイントには、十数人が陣取って、時刻表を見て、列車の通過を今か今かと待っていました。そのとき特急列車が鉄橋を通過したので、私も急いでシャッターを切りました。
 明治45(1912)年に開通した鉄橋がそびえたつ餘部に駅ができたのは、意外にも鉄橋が完成した約半世紀後の昭和34(1959)年。それまで餘部の人々は、鉄橋を歩いて渡り、トンネルを抜けて鎧駅から列車に乗っていました。そこで、餘部小学校の児童たちが、当時の兵庫県知事に「餘部に駅をつくってください」と手紙を書いたことがきっかけとなり、駅の設置が決まったそうです。昭和61(1986)年暮れに列車の転落事故があって、橋の下の転落場所に慰霊碑が建てられています。コンクリート橋への架け替え工事が来年春から始まり平成22(2010)年に新しい橋が完成する予定です。どんな橋になるのか、完成の暁には再び訪れてみたいと思います。
 この「会長から」のコラムも気が付けば5年目に入りました。ほとんどが私の行動記録のような記事ですが、これらからもご愛読いただきますようお願いします。

平成18年10月1日 音楽部OB会 会長 中村巧